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悪いニュースを見たいと思うとき、私たちは偽善者なのだ

category - アメリカの政治
2015/ 11/ 08
                 

                                     撮影は咲耶子                          
ニュースは大抵、良くないことを伝える。
そのほうが視聴者の欲求に即しているからだ。
つまり他人の不幸を私たちは求めている。「ひどい話だ」と眉をひそめつつ、私たちは、結局そのニュースに飛びつく。

ニュースを見、秩序のみだれに、多くのひとが「社会のルールを守らないやつは排除すればいい」という考えに対して魅力を感じる。

だが、ここに大きな矛盾が生まれる。
もしも、完璧に秩序だった社会が生まれたら、ニュースはいらない。なぜならニュースは秩序外のことを伝えるためにあるからだ。
「○○さんが結婚しました」ばかりのニュースなら「ああ、そう」で終わる。
「○○さんが不倫しました」という秩序を破るニュースのように刺激的ではない。

このように、意外性のない世界を「面白いか?」と問えば、つまらないと感じるのは明白だ。
子どもの頃「台風が来る」と聞くとドキドキした経験があるだろう。
近所で「火事が起きた」とわかれば、大人でさえドキドキするものだ。そのドキドキは多少の不安を含んでいるが、それ以上に「面白い」のである。
人は危険にスリルを感じ、面白がるのである。


万引きなどはスリルを求める犯罪だが、殺人にすらスリルを求める人間がいる。あなたは眉をひそめ、そんなやつは死刑にしろとつぶやく。
こうして、殺人事件が起こるとニュースになり、人々は「ワッと」飛びつく。
なぜこれほど強い関心を持つのだろう? 私たちの深層には殺人代替えの心理がある。自分は出来ないが、だれかがやってくれたわけだ。
つまり、極端な非日常性を心の奥底で求めていたのだ。
だからワッと飛びつく。

だが、自分の悪意は巧妙に隠される。代わりに行動した相手を徹底的に叩く。死刑にしろと罵る。
ここに隠れた暴力性を垣間見ることが出来る。正義が「排除」の形をしているなら、それは攻撃性を含んでいると言えよう。
私たちは正直に「偽善者」であることを認めなけれならない。秩序も無秩序も単なる状況だ。だがそれを特別なこととして取り上げるとき、それに関心が向いているということだ。
さて、あなたはどんなニュースに関心が向いているだろうか?



以下↓「理論物理学」より抜粋

たとえば、あなたの友人たちは皆同じことをしたら、人生は単調で無意味なものになる。世界の歴史は一定の法則に従い、終わりのない平和が永遠に続き、何の変化も起こらない。歴史は本当に退屈なものとなり、だれも語るものはいないだろう。途切れも無く同じ状態を記録するものなどいないからだ。

とは言え、友人のだれもが、でたらめに行動したら、これもまた期待することは出来ず、人生は無意味なものになる。過去の記録は完全にでたらめであり、記録する必要はなくなる。

面白くなるのは臨界点に近づいたときである。この世界はあらゆる大きさの集団で占められるようになり、それらは絶えず離合集散し、完全に規則的でも完全にでたらめでもない状態になる。

しばしば思いがけず世界全体を蹂躙するようになる。歴史はまったく別な方向に動き出す。秩序さとでたらめさが、複雑だが魅力的な形で混じり合っている。

自分の行動が世界に大きな影響を与える可能性がある。他人の行動があなたに深い影響を与えていることに気づく。我々は必然でない出来ごとにとりわけ心を動かされる。

この世界ではあらゆるささいな出来ごとが記録され、それらは影響力を持ち、そしてその影響は世界を変えうる。これは自己組織化である。~「歴史は『べき乗則』で動く」著・マーク・ブキャナンより~



転載元: あなたの知らない視点で語りたい~詩 小説 エッセイ

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