2015/09/24

世界は食うか食われるかという競争の原理では動いていない


日光・華厳の滝  by咲耶子

テロリスト集団も軍事強化国家も、つまるところ「強ければ生き残る」という考えを基にしている。
ジャングルのライオンでいたいのだ。

だが、実際は「弱肉強食」は自然界の法則に当てはまらない。

ライオンはガゼルを追いかけるとき、自分が「適者」など気にも留めないし、勝利品になるようにと、より大きなガゼルの角を狙うようなこともしない。
それどころか、空腹なら確実に食べられるように「適していない」ものを狙うだろう。

ライオンはガゼルという食糧を確保するために、ガゼルを恐怖で縛っておくわけではないし、食べる目的以外のガゼルには関心も示さず、ヒマだからと気晴らしにガゼルを襲ったりはしない。

さて、あなたはダーウインの本を実際読んだことがあるだろうか?

「適者生存」という言葉ほど一人歩きをしてしまった言葉はない。
「適者生存」は「最も生き残る可能性のあること」と言いかえられるが、私たちはそれが、何かガゼルを追いかけるライオンのような弱肉強食をイメージしてしまった。

「適者」とは「うまく」とか「適応できる」という意味であって、ガゼルがどのくらいいるかを考えてみればわかるだろう。

ライオンは確かに力は強い。だが自然界は絶妙なバランスを強いている。
数のバランスだ。数は種どうしの力に調和というバランスを与えた。

――「弱肉強食」の法則とは「うまく適応できないものは生き残れない」という決まりだ――

つまりこういうことだ。キャンプであなたが朝起きるとクマがいた。あなたはすぐに靴を履く。
友人は聞く「どうして靴なんか履くんだい? クマのほうが速いだろ?」
あなたはこう言う。
「いや、クマには勝たなくてもいいんだ。君に勝ちさえすればいいのだから」

私たちは勘違いしている。
真の進化論は「生き残れるような適応を果たす」という原理なのだ。

人類は「弱肉強食」の頂点にいると勘違いしているが、現実は地球と調和をとるのに貢献する有機生命体は環境に順応しなければならない。

そもそも「より強いもの」とは、どんなものなのだろう。

生き残ることを言うなら「人間」よりも「ゴキブリ」のほうが「弱肉強食」の頂点にいる。
SF]映画に出てくるエイリアンは、人間が殺しても殺しても、分裂して生き返る。エイリアンの強さは、反面、人間の弱さと見せつけて、映画を見る私たちはハラハラする。

しかしエイリアンと同じことを、たったいま「ゴキブリ」はしているのだ。

たしかに人間はゴキブリを簡単に踏みつぶすことは出来る。だが踏みつぶされる一匹は全体の種として見れば、まったく痛くもかゆくもないのだ。
私たちがこれほど「ゴキブリ」を恐れるのは、たぶん、その「適者生存」の強さを目の当たりにしているからだろう。

「外はジャングルだ。我々は食うか食われるかだ」と、私たちは弱いことを恐れてきた。
お金や権力を求めるのも、その恐れからだ。それらを失えば死ぬしかないと考える。

だが、もしも今のシステムが崩壊したら、だれが生き残るだろう。
たぶん、金持ちでも権力者でもなく、その場の状況を的確に見極め、ただちに適応しうまく立ちまわれる人間なのだろう。
彼らは、いわゆる「ずるい人間」だが、彼らの真に生き残れるかどうかは一点の考え方に集約される。

もしも「自分だけが生き残ればいい」という考えならば、種全体からみれば、まさに「不適応者」と見なされる。ダーウインの進化論は個人の繁栄を約束したものではない。

むしろ種を繁栄させる法則で、今の権力者が誤解しているように、やみくもに敵を作り、それを倒せば生き残るという法則ではないのである。



以上「思考のパワー」著ブルース・リプトンを参考にした記事です。



転載元: あなたの知らない視点で語りたい~詩 小説 エッセイ

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