2015/11/05

竜馬と龍馬―「明治維新という過ち」

~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~

「明治維新という過ち」
という長州テロリストによって作られた国家の真実を述べようとした本です。



今まで数多くの歴史小説や映画やテレビドラマで作られた、幕末から明治維新という名の日本国家。
その史実を根底からくつがえすような本です。

本を宣伝するつもりはありませんが、ポイントを抜粋して紹介します。

はじめに

(前略)

日本人は、幕末動乱のドラマが好きである。
ところが、幕末動乱期ほどいい加減な〝お話″が「歴史」としてまかり通っている時代はなく、虚実入り乱れて薩長土肥(薩摩・長州主 佐・肥前) の下級武士は永年ヒーローであった。
中でも、中心は長州と薩摩であった。

竜馬龍馬

それにしても不思議である。

天皇のおわす御所に大砲をぶっ放すという、過去の歴史に存在しない暴挙を決行して「朝敵」となった長州が、大どんでん返しで政権を獲ってしまうのだから、いつの時代も政争というものは分からない。

この一件に限っていえば、これには薩摩の存在が大きく作用している。
いうまでもなく、大河ドラマなどでお馴染みの「薩長同盟」の成立である。

これがなければ、どんでん返しは起こるべくもなかった。

薩摩は、何故朝敵となった長州に手を差し伸べたのか。
最後の将軍・徳川慶喜は、何故政権を放り出したのか。
会津・庄内・二本松などの奥羽列藩は、何故あれほど苛烈に長州・薩摩に対して徹底抗戦を貫いたのか。

このような幕末の歴史には、それなりに既に回答が用意されている。

回答を書いたのは、「朝敵」の烙印を押されたはずの長州人である。

そして、「明治維新」そのものに対する評価に疑問を差し挟む余地など、これまで全くなかったのである。

しかし、「御一新」、つまり『大政奉還』『廃藩置県』の後は、長州・薩摩の世になったということを忘れてはならない。

つまり、明治以降とは、長州・薩摩の世であり、このことは根っこのところで大正、昭和を経て平成の今も引き継がれているということなのだ。

即ち、私たちが子供の頃から教えられ、学んできた幕末維新に関わる歴史とは、「長州・薩摩の書いた歴史」であるということだ。

どのような幕末資料を読むにしても、まずこのことが大前提となるのである。

「勝てば官軍」といういい方がある。
きっかけはどうあれ、経緯はどうあれ、そして手段はどうであれ、勝った方が正義になるという人の世のやるせない真理を、この言葉は端的にいい当てている。

あの時、この言葉を呟いた人びとは、長州・薩摩、そして土佐が自称した「官軍」が普遍性のある正義でも何でもないことを承知していたのだ。
この言葉は、あの時会津が勝っていれば、即ち会津が「官軍」となったのだと、明快にいっているのだ。

そういう戦の勝者が、自分の都合に合わせて歴史を書くことは極めて普通のことであり、このことは古今東西、全く変わらない。
そのことを承知しておくことが、歴史を学ぶ、ひいては歴史に学ぶ知性であることを知っておくことが肝要なのだ。

我が国においても、『古事記』 『日本書紀』 が時の天皇政権の立場で編纂されていることは、誰もが承知している。

『記紀』 は、政権がようやく安定してきた八世紀に成立したものである。

ただ、『記紀』 はやはり勝者の立場で編まれたものではあるが、遥かに長閑(のどか)である。

歴史上の政権というものは、時間をかけて安定に向かうものであって、その長閑さが普通である。
私どもが教えられた幕末の歴史には、つまり長州・薩摩政権の書いた歴史には、そういう大らかさが微塵もない。

それは、展望をもたない強引な政権奪取であったからだと思われるが、この場合の「強引」とは、いつの世も政権奪取というものは強引なものであるという「当然」の域を超えているという意味である。

大切なことは、そういう歴史がこの百四十年以上綿々と教えられてきたという事実であり、そういう「長州・薩摩の書いた歴史」をまずは知るということであろう。

それを知った上で、「長州・薩摩が書かなかった」ことの実相を整理した方が、歴史というものの正体、恐ろしさを知ることができるというものだ。

(中略)

例えば、私の大学の大先輩・故司馬遼太郎氏の著作に『竜馬がゆく』という作品がある。
改めていうまでもないが、これは司馬さんの小説である。
つまり、フィクションである。

だからこそ、司馬さんは「龍馬」とせず、敢えて「竜馬」とした。
つまり、論理的にいえば「坂本龍馬」という土佐の郷士崩れのような男と「坂本竜馬」は別であって、司馬さん自身がそのことを十分意識しているということなのだ。

勿論、歴史上の人物なり事象を小説という形にする時は、それはそれで別の有効な作用が働くことがある。

司馬さんは、ご自身が認める通り〝龍馬ファン〞である。
私は龍馬が好きで、好きで、とあちこちの書き物で〝弁明″に努めている。

頭を掻き掻き、照れ笑いをしている司馬さんが目に浮かぶような調子なのだ。
ところが、多くの人がこの小説に描かれた竜馬を、「坂本龍馬」の実像だと信じ込んだ。
そして、このことが幕末動乱史の解釈を大いに誤らせたことは事実である。
坂本龍馬とはそれほど巨大な人物でも何でもない。
幕末の実相をあからさまにしようとするなら、『竜馬がゆく』における「竜馬」を、「坂本龍馬」にすっぽりと重ねてはいけない。

「薩長同盟」の立役者、『大政奉還』の献策、『五箇条の御誓文』の基になったとされる『船中八策』の立案策定等々から、さまざまなエピソードに至るまで、この人物に関しては麗しき誤解が余りにも多い。

過去、坂本龍馬については、三度のブームがあった。
つまり、龍馬とは、吉田松陰などと同様に死後その名を広く知られるようになった人物である。

彼を世に出したのは、新政権がようやく落ち着きをみせ始めた明治十六年に地元高知の地方新聞が掲載した連載小説である。
これによって、龍馬は世に出た。

二度目が日露戦争時だといわれる。

龍馬が皇后の夢枕に立ち、「帝国海軍は絶対勝つ⊥といったという、当時の有力紙に掲載された有名なエピソードである。

いうまでもなく日本海海戦の直前のことだが、これなどは、土佐出身の宮内大臣田中光顕あたりの作り話であるとしか考えられない。

三度目が、昭和三十七年から産経新聞に連載された司馬さんの『竜馬がゆく』が起こしたブームである。

このブームが定着し、龍馬は今や国民的人気を得ているといっていいだろう。
一つ、二つ冷や水を注しておくと、坂本龍馬という男は長崎・グラバー商会の〃営業マン〞的な存在であったようだ。

薩摩藩に武器弾薬を買わせ、それを長州に転売することができれば、彼にとってもメリットがある。

グラバー商会とは、清国でアヘン戦争を推進して中国侵略を展開した中心勢力ジャーディン・マセソン社の長崎(日本)代理店である。

この存在が「薩長同盟」の背景に厳然とある。

朝敵となった長州は武器が欲しい、薩摩は米が欲しい……この相互メリットをグラバー商会が繋いだ。

薩摩は永年密貿易の経験があり、長州は口では「攘夷断行!」と喚いてはいたが、既に秘密留学生(井上聞多、伊藤俊輔がこれに含まれている)を送り出していたほど共に幕府の禁令を無視する存在であった。

つまり、薩摩小松帯刀(たてわき)、長州桂小五郎が重視したのはグラバー商会であって、グラバー商会の利益を図る龍馬が「薩長同盟」に立ち会うようになったのは極めて自然な経緯ではなかったか。
私は、そう考えている。

盟約書の裏書は、第三者なら誰でもいいわけで、それがグラバー商会の意向を反映する人物なら、この同盟の目的からみても、あれほど憎しみ合った長州と薩摩双方とも納得できるはずだ。

単なる一人の脱藩浪士なら、その人物を個人としてどれだけ評価したとしても、潜在的に討幕の意思をもち続けてきた外様二大雄藩が、藩の命運を託することなどありようがないのだ。

尤も、龍馬とグラバー商会との関係から最近では龍馬=フリーメイソン説が出ているが、それは〝図に乗り過ぎ″というものであろう。
いずれにしても、坂本龍馬とは、日本侵略を企図していた国の手先・グラバー商会の、そのまた手先であったということだ。

また、龍馬の脱藩の理由は全く分かっていない。
そして、勝海舟を殺しにきて、逆に感化されて弟子になったなどというのは、ドラマとしては面白い話だが、私はウソであると思っている。

御一新後、勝自身がそう語っているではないかという反論を受けるだろうが、それは勝の「ホラ」の一種であると断じていいのではないか。

勝海舟という俄か御家人は、徳川慶喜(十五代将軍)と共に長州・薩摩に幕府売った張本人であるが、御一新後の勝の〃思い出声ほど信用できないものはないのだ。

『船中八策』になると、これはもう、いつ、誰が、どこで発案したものか、全く分からない。
そもそも伝わるような形の原案がそのまま存在したのかどうかさえ疑わしい。

その他、おりょうという女(寺田屋の養女)を妻とすること、郷士としての出自のこと、
北辰一刀流免許皆伝のこと等々、この男ほど虚飾が肥大して定着した幕末人は他に例をみない。
その意味では、司馬さんの罪は大きいといわねばならない。

蛇足ながら、以上のことを以てしても私の司馬さんに対する「智の巨人」としての評価が揺らぐことは些かもない。

なお、昭和二十八年に起きた「荒神橋事件」によって京都大学から放学処分(二度と復学できないので退学処分より重い)を受けた経歴をもつ歴史学者松浦玲氏が、坂本龍馬の実像研究家としては著名である。

勝海舟・横井小楯の研究家として名高い氏は、坂本龍馬に関しても、『検証・龍馬伝説』 (論創社刊)を著されている。

歴史の実相を明らかにするには、多くを先人に学ばなければならない。
しかし、かように幕末に関する資料や「お話」には、史実を知ろうとする場合には、細心の注意が必要である。

近年は誰もが一次資料だ、二次資料だと騒ぎ立て、一次資料というだけで無条件に信じ込む単純さが幅を利かせているが、私はもともと書き物だけが資料だとは思っていない。
京都・八坂通りの夕霧の中に佇めばば、会津藩士や新撰組隊士が腰をかがめて、長州のテロリストを求めて疾駆する姿が眼前に浮かび上がるだろう。

二条城周辺の闇は、京都見廻組の幕臣に暗澹たる思いを強いたことであろう。
そして、蛤御門に残る弾痕は、無防備な御所が紛れもなく天皇に殺意をもつ者によって砲撃されたことを訴えている。

私の生地・伏見界隈では、豆腐屋のラッパさえもが騒乱の中で愛した男たちの非業を嘆く女郎たちの泣声のように聞こえる。

歴史を皮膚感覚で理解するとは、その場の空気を感じとることだ。
歴史を学ぶとは年号を暗記することではなく、往時を生きた生身の人間の息吹を己の皮膚で感じることである。

資料や伝聞は、その助けに過ぎない。
そういう地道な作業の果てに、「明治維新」という無条件の正義が崩壊しない限り、この社会に真っ当な倫理と論理が価値をもつ時代が再び訪れることはないであろう。

平成二十六年十一月二十二日 仏滅 小雪 井の頭池 樹林事にて  原田 伊織



転載元: country-gentleman

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2015/11/05

「明治維新という過ち」 NO.2  廃仏毀釈と日本人

~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~
「明治維新という過ち」
NO.2
という長州テロリストによって作られた国家の真実を述べようとした本です。

第一章
「明治維新」というウソ
廃仏毀釈と日本人

(前略)

誰もが学校の歴史の時間に習ったはずの、この「廃仏毀釈」とは、俗にいう「明治維新」の動乱の中で、明治元年に長州・薩摩を中心とする新政権の打ち出した思想政策によって惹き起こされた仏教施設への無差別な、また無分別な攻撃、破壊活動のことを指す。

これによって、日本全国で奈良朝以来の夥しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受け、還俗を強制されたりした。

ひと言でいえば、長州・薩摩という新権力による千年以上の永きにわたって創り上げられた固有の伝統文化の破壊活動である。

現代のイスラム原理主義勢力・タリバーンや「イスラム国」を思えば分かり易いであろう。

発端は、新政権が出した太政官布告『神仏分離令』と明治三年に出された『大教宣布』 にある。

学者は、これ自体が直接仏教排斥を指示したり、煽ったりしていないとするが、それは文章面のことであって当たり前である。

これを後ろ盾として、仏教弾圧の嵐が吹き荒れたことは否定のしょうもないことなのだ。

私ども大和民族は、それまで千年以上にわたって「神仏習合」という形で穏やかな宗教秩序を維持してきた。

平たくいえば、神社には仏様も祀って別け隔てなく敬ってきたのである。

これは、極めて濃厚にアジア的多元主義を具現する習俗であったといえる。

それをいきなり廃止せよと命じ、神社から仏教的要素を徹底的に排斥することを推進し、ご神体に仏像を使用することも禁止したのである。
(憲法を無視した集団的自衛権行使を強行採決した政権党と同じだ。=筆者)

これが、全国的に大々的な廃仏運動を燃え盛らせたのだ (平成日本人は、「神仏習合」が大和的な、大らかで自然な姿であったことも知らなくなっている)。

今、近代と呼ばれる世界は一元主義によって行き詰まりにきている。

長州・薩摩権力が一転して狂ったようにかぶれた西欧文明はまもなく確実に終焉を迎えるであろうが、それは言葉を換えれば一元主義の破綻といっていい。

もともと大和民族は、多元主義的な生態を維持してきた故に、多少の混乱期を経験しながらも長期的には平穏な生存空間を、政治的な版図を超越して維持してきたのである。

単に島国であったから、という地勢的な理由だけに頼るのは余りにも稚拙というものであろう。

ところが、長州・薩摩の下層階級が最初にかぶれた思想とは実に浅薄なもので、単純な平田派国学を旗印に掲げ、神道国教・祭政一致を唱えたのである。

これは、大和民族にとっては明白に反自然的な一元主義である。
ここへ国学の亜流のような「水戸学」が重なり、もともと潜在的に討幕の意思をもち続けてきた長州・薩摩勢力がこれにかぶれ、事の成就する段階に差しかかって高揚する気分のままに気狂い状態に陥ってしまったのだ。

水戸と水戸学の狂気については、別に一章を設けて整理したい。
こういう現象は、革命期にはよくあることではある。
とはいえ、神政政治を目指す、神道を国教とする、仏教はそもそも外来のものである、すべてを「復古」させるべきだというのだから、これはもうヒステリー状態に陥ったというべきであろう。

では、どこへ 「復古」させるのが「正しい」 のか……当然、五世紀以前ということになる。

そもそも長州・薩摩は、徳川政権を倒すために天皇を利用しようとしたに過ぎない

そのために「尊皇壊夷」という大義名分が必要となった。
これは、どこまでも「大義名分」に過ぎない。
長州・薩摩が純粋に「尊皇」精神をもっていたかとなると、幕末動乱期の行動、手法が明白に示す通り、そういう精神は微塵ももち合わせていない。

「尊皇壊夷」を便法として喚き続けているうちに本当に気狂いを起こし、「王政復古」を唱え、何でもかでも「復古」「復古」となり、大和朝廷時代が本来のあるべき姿であるとなってしまった。

その結果、寺を壊せ、仏像を壊せ、経典を焼け、坊主を成敗せよ、となってしまったのである。

この「廃仏毀釈」を単なる民衆の行き過ぎた一時的なムーブメントとし、新政権の方針とは全く無関係であると学者はいい続けてきたが、それは違う。

新政権政府は、僧侶に対して『肉食妻帯勝手なるべし』 と、わざわざ命令している。

僧侶に戒律を犯させ、仏法の教えにいうところの「破戒」をさせようと企図したことは明白である。
凡そ政治施策を推進する上で、こういう手法は実に知性、品性に欠ける下劣な手法であるといわざるを得ない。

このようにして、俗にいう「明治維新」という動乱期に、日本の伝統文化・芸術の根幹を担ってきた日本の仏教は、宗教としても文化的価値としても徹底的に弾圧されたのである。

奈良・興福寺や内山永久寺の惨状は、中でも筆舌に尽くし難い。
興福寺だけで二千体以上の歴史を刻んできた仏像が、破壊されたり、焼かれたりしたことが分かっている。

僧侶は、ほとんど全員が神官に、文字通り〝衣替え〞したり、還俗することを強要された。
経典は、町方で包装紙として使われるというゴミ同然の扱いを受け、五重塔は二十五円(一説には十円) で売りに出された。
薪にするために売りに出されたのである。

多くの宝物は、混乱に乗じた略奪等によって散逸し、二束三文で町方に出回ったのである。

因みに、現在の奈良ホテルや奈良公園は、当時の興福寺の敷地内である。

興福寺と共に我が国四大寺の一つという格式を誇った内山永久寺に至っては、更に酷いもので、徹底的に破壊され尽くし、今やその痕跡さえみられない。

姿を残していないのだ。=の世から抹殺されてしまったのである。「廃仏毀釈」とは、それほど醜い仏教文化のせん滅運動であった。

「復古」「復古」と喚いて、激しく「尊皇壊夷」を口先だけで主張し、幕府にその実行を迫ってテロを繰り広げた長州・薩摩人は、このように古来の仏教文化でさえ「外来」であるとして排斥したのだが、政権を奪うや否や一転して極端な西欧崇拝に走った。

「尊皇壌夷」式にスローガンとしていうならば、今日からは「脱亜入欧」だと豹変したのである(後に福澤諭吉が唱えた「脱亜入欧」は、経緯、主旨が異なる)。

明治九年に新政権政府がドイツから招いたベルツ博士が日記を残している。
いわゆる『ベルツ日記』であるが、これは数多く存在する往時を伝える貴重な資料の一つである。

ベルツは日記に日く、『日本人は、自分たちの過去=歴史を恥じている。また、日本には歴史なんかありません、これから始まるのです、という』

ベルツ自身は、日本女性と結婚し、二十一年間も日本に滞在した知日家・親日家であるが、そういうヨーロッパ人が驚くほど日本人が日本的なるものを根底から否定し、自らを卑下していたのである。

驚くほど全く同じょうに、朝日新聞を知的基準とする「戦後知識人」といわれる層や、私が『原田伊織の晴耕雨読な日々』 (毎日ワンズ刊) で規定した「ユーミン世代」と
いわれる世代も、全く同様のメンタリティをもっている。

自分たちの過去、その直近である江戸期社会とは、国際的にみても真に高度な独自の文明システムを創り上げた社会として、近年になってようやく内外の一群の学者たちによって「江戸システム」として研究・分析され、人類史的にみても驚くべき高度な社会システムであったとして評価されるようになってきた。

ベルツが接した日本人の多くは、「成り上がり」といっていい当時の新しい上流階級、即ち長州・薩摩人や長州・薩摩に与(くみ)した勢力の新興階級である。

豊かな教養環境とはほど遠い下層階級から政治闘争(実際には過激なテロ活動)に身を投じた彼らは、俄か仕立ての水戸学だけを頼りに「大和への復古」を唱えて「廃仏毀釈」という徹底した日本文化の破壊を行った挙句に、今度は一転して「脱亜入欧」に精魂を傾けたのである。

これほど激しい豹変を、それも昨日と今日の価値観が逆転するといった具合に短期間に行った民族というものも珍しい。

どちらの態度も、己のアイデンティティを破壊することに益するだけであることに、彼ら自身が気づいていなかったのである。

日本人は、テンション民族だといわれる
いわゆる「明治維新」時と大東亜戦争敗戦時に、この特性が顕著に顕れた。

その悪しき性癖は、今もそのまま治癒することなく慢性病として日本社会を左右するほど悪化していることに気づく人は少ない。

奈良・興福寺の仏像修復に精魂を傾けたのは誰か。

彼の努力がなかったら、今日私たちは興福寺で仏像を鑑賞することができないのである。

それは、文部官僚岡倉天心である。

彼が、長州人を中心とした西欧絶対主義者たちによって職を追われたことと、それにも拘わらずその後も彼が地道に仏像修復に当たらなかったら、今日の興福寺さえ存在していなかったことを、私たちは肌身に刷り込んで知っておくべきであろう。


このときの「廃仏毀釈」は、今の安倍政権が狂ったように「新・安保法」を成立させたことと酷似している。(筆者)



転載元: country-gentleman

2015/08/01

日本国の権力維持の仕組み・・坂本龍馬から安倍政権まで

ID:tona5u
ニューヨーク・タイムズが、欧州最大財閥ロスチャイルド(総帥ジェイコブ・ロスチャイルド)一族の保有しているマスメディアであるということだ。この社説は、安倍晋三首相に対して暗に「退陣せよ」という総帥ジェイコブ・ロスチャイルドのメッセージである。
徳川幕府は 欧州は最大財閥のロスチャイルドが坂本龍馬を動かし 
最新武器を長州に与え 
幕府を倒しました。

その後は 長州人が今だに 実権を握っています。

例えば 歴代首相の
伊藤博文・山縣有朋・桂太郎・寺内正毅・岸信介・田中儀一・佐藤榮作・安倍晋三
安倍晋三首相は12日、山口市内で講演し、明治維新から150年となる平成30年も首相として日本再生に尽力する決意を表明した。
 首相は、地元・山口県が日本の近代を開いた明治維新を支え、その後も多くの首相を輩出してきたことを指摘。「山口県出身の首相として恥ずかしくない実績を残していきたいと静かに決意している」と語った。
 さらに、明治維新から50年後に山口県出身の寺内正毅、100年後には佐藤栄作が首相を務めていたことに触れ、「私は山口出身の8人目の首相。何とか頑張って30年までいけば、(明治維新から150年後も)山口県出身の安倍晋三が首相ということになる」と語った。


支配維持の方法は

幕府の作った門徒制を弱める。
廃仏毀釈、今残る仏教の文化財は二割しか残っていないとの記事あります。

幕府は 仏教?お寺で民衆操作していたのを
意識替えに ・・・

庶民の知らない天皇を神格化し
長州? 明治政府が実権を握ったことで。

少数意見でも 天皇を支持する者が
大衆が従い 天下をとれる仕組みを作り上げた。

江戸までの天皇は 長州に都合が悪いと 毒殺の記事あります。
長州の出身の大室寅之祐が明治天皇になったと言われています。

天皇が長州の意のままに動かないと
怖い 証が
1923(大正12)年12月27日、国会議事堂に向かう皇太子(後の昭和天皇)の車が狙撃されました。犯人の難波大助は、父親が衆議院議員という山口県の名家に生まれた24歳の若者で、ステッキに仕込んだ散弾銃の銃弾は車の窓を破ったものの、同乗していた侍従長が軽症を負っただけで皇太子には怪我はありませんでした。
天皇は尊いと民衆には言うが・・
実権は 天皇の上に 長州がいた。

安倍総理の
最大の後援団体の日本会議は 神社関係の人が多いですね。

戦争に反対している宗教団体は
キリスト教や仏教は 聞いても神社関係者は聞きません。

神社と天皇は同じに取れますもんね。

そこが 不思議なんです。

天皇は尊いと言われる 安倍さんたちは
靖国神社にお参りします。

でも

天皇陛下は靖国神社には行かれません
なぜですか

何方か 教えて下さい。

 まいちもんじさんに 下記のように教えていただきました。

天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは昭和五十一年からです。 A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは昭和五十三年です。 参拝されなくなったのが五十一年、 合祀されたのが五十三年です。 そこに二年の開きがあります。 ですから、 天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは、 A級戦犯の合祀が原因でありません。http://shofujuk.cside8.com/20sosin/025.html

上は 配信元がふめいですので、

昭和天皇がA級戦犯合祀により靖国神社を親拝しないと歴史解釈された富田メモが
信用できます。



もしかすると
もう・・ 権力者の後ろ盾に 使われるのが困るから

事実上の人間天皇・・
庶民になりたいと思われているのではないかと思うのです。

皆さんは
どう思いますか?



今の日本も 政治なら アメリカ政府から日本政府への要望書 

自民党はこれに沿った政策が多いですね
経済界だって 会社を動かすお金 東証は外国人資本7割で

アメリカ?ロスチャイルドなど ユダヤ金融資本のお金で動き 利益も取られていますよね。
 ユダヤ金融資本の手の中にありますね。

ロスチャイルドのお陰で 明治から 岸信介 佐藤 安倍総理まで 長州が日本を支配していますよね。

その 
ロスチャイルドのメッセンジャーの、ニューヨーク・タイムズに 安倍総理に退陣を求めていると取れます。
・・・!?

違いますか?
上の新聞記事を精読してみてください。

安倍さん
退陣しないと 大変なことになりませんか?



世界は ユダヤ金融資本に支配され
リーダーのアメリカが 人口のたったの2%の ユダヤ人が実権を握っています。

民主主義だ 選挙があるから公平ではありません。


マスメディア動かし情報操作・・
議会へはプロの
ロビー活動家・・

ニュースでお馴染みの大統領選挙の膨大な献金・・金で決まる政治な見えますとね。

民主主義は見かけだけの 資本主義と言うよりユダヤ金融資本支配ですね。・・?
支配しきれない イスラム諸国と共産国には・・?

いつものパターンで経済封鎖などしかけては あちらが悪い
自由ための戦争と言って・・・始めますね。

お金のための戦争と思えるのですがね・・?


2014/08/04

明治維新はロスチャイルド、ロックフェラーの陰謀!子分の日本の若者たちが維新をつくった!その後も戦争の歴史と続く…

明治維新はロスチャイルド、

ロックフェラーの陰謀!

子分の日本の若者たちが維新をつくった!

その後も戦争の歴史と続く…






THINKER様より抜粋引用
日本人の知らないニッポン
http://thinker-japan.com/thinkwar.html

明治以降から現在に至る歴史の中で、特に戦争とお金の分野では、いつもロスチャイルド家またロックフェラー家が、深く関わっていました。

彼らはけっして歴史の表舞台に出てくることはありませんが、日本の歴史上の大事件の裏には、いつも彼らの存在があったのです。


明治以降の日本の歴史は、ロスチャイルド家およびロックフェラー家、

また彼らに仕える国内の政治家によって起こされてきた戦争の歴史であるといっても過言ではありません。

戊辰戦争を振り返って見ると、以上のようになります。

英のロスチャイルド家と仏のロスチャイルド家が二手に別れ、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方を資金と武器で支援します。

その後、両者を戦わせて、どちらが勝っても支配権と利益を手に入れます。

さらにこの後、明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせます。




巨大な力を持つロスチャイルド一族は、欧米ばかりでなく日本にも大きな影響を与えてきました。

それでは、次に「日本の近代の歴史」を振り返っていきましょう。




明治以降から現在に至る歴史の中で、特に戦争とお金の分野では、いつもロスチャイルド家またロックフェラー家が、深く関わっていました。
彼らはけっして歴史の表舞台に出てくることはありませんが、日本の歴史上の大事件の裏には、いつも彼らの存在があったのです。

明治以降の日本の歴史は、ロスチャイルド家およびロックフェラー家、また彼らに仕える国内の政治家によって起こされてきた戦争の歴史であるといっても過言ではありません。




明治維新は、「文明開化」といわれるように今の近代化された日本の出発点です。

人々のファッションが変わり、考え方、 政治、経済、法律、 宗教にいたるまで、すべてが近代化の名のもとがらっと一気に西洋化していきました。




この歴史に残る一大事件を成し遂げたのは、地方の侍でした。
おもに薩摩藩・長州藩・土佐藩など地方の下級武士たちです。

中でも代表的な維新の三傑といわれるのが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(旧名:桂小五郎)ですが、当時、敵対していた両藩を結びつけたのが坂本龍馬であるとされています。

この両者が結び付いた軍事同盟である薩長同盟の結果、倒幕運動が功を為し、明治維新に至ったとされています。今でも語り継がれる坂本龍馬による大手柄です。しかし、実際には……。




その背後にトーマス・グラバーというイギリスの武器商人の存在がありました。

グラバーは、ロスチャイルド家の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。来日当初は、生糸や茶の卸売をしていましたが、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。 

当時、幕府に敵対していた長州藩は、長崎のグラバーから武器を買うことを幕府から禁じられていました。そこで、龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのです。

実のところ、これは龍馬を使って薩長を結びつけ、その後、両藩を支援して幕府を転覆させるというグラバーの計画でした。

また、それ以前にも敵対していたとされる薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、両者ともに交流のあったグラバーは、彼らにイギリス留学を斡旋し、当地で交流させます。

つまり、龍馬が両者をつなぐ前に海の向こうではグラバーの仲介で、薩摩と長州はすでに結びついていたのです。




なかでも、グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。というのも、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのはグラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンその人だったからです。

さらにヒューマセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいました。
ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。

いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたわけです。




明治維新をロスチャイルド家の視点からみてみるとこうなります。

初め、日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人(グラバー)は幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができません。

そこで地方の若者(この場合、薩摩藩・長州藩の下級武士)に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせます。

自分たちが教育し、支援した若者たちが政府を転覆し国を乗っ取ります。
彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。
明治新政府はこのように創設されました。

しかし、所詮イギリスの後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。

そこで、内戦が起きます。







戊辰戦争です。
薩摩と長州を中心に作られた明治新政府を相手に、不満を持つ旧幕府軍が戦いました。
多くの悲劇を生んだ明治初期の内戦です。




戊辰戦争は、まず新政府軍 V.S 幕府軍の主導権争いの京都「鳥羽・伏見の戦い」 に始まり、次は「東北戦争」、さらに北上して、旧幕府軍の最後の抵抗となる「箱館戦争」で幕を下ろしました。

当初、京都の戦いでは両軍の兵力は、新政府軍の約5000人に対し、 旧幕府軍が15000人。旧幕府軍側が3倍ほど数で上回っていました。

しかし、朝廷が薩長軍を官軍と認定し、錦の御旗(みはた)の使用許可を与えると形勢が逆転します。この錦の御旗は、下級公家であった岩倉具視が密造したものでしたが、朝廷の許可を得て戦地で掲げると、「天皇には逆らえない」と旧幕府軍の戦意は低下します。慶喜が軍を捨てて京都から江戸に逃走したことも重なり、新政府軍の圧勝に終わります。

これにより、地方の下級武士と下級公家によるクーデターは完遂したのです。




また江戸では、新政府軍の司令官である西郷隆盛と幕府側代表の勝海舟の話し合いにより、幕府側から新政府側に江戸城が明け渡されました。争うことなく、無血開城した江戸城でしたが、その裏には、後の貿易への支障を恐れたイギリス側から、新政府軍に「江戸城は攻撃するな」という指示がありました。

この幕末から明治維新にかけて、日本の背後では、イギリスが薩長倒幕勢力を通じて南方からの日本支配をもくろんでおり、フランスは幕府を通じて日本の支配をもくろんでいたのです。
またさらにその上には、それぞれ英・ロスチャイルド家と仏・ロスチャイルド家の存在がありました。




戊辰戦争を振り返って見ると、以上のようになります。

英のロスチャイルド家と仏のロスチャイルド家が二手に別れ、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方を資金と武器で支援します。その後、両者を戦わせて、どちらが勝っても支配権と利益を手に入れます。

さらにこの後、明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせます。




日露戦争です。
小国の日本が大国ロシアを相手に戦いました。
この戦争は、有色人種が白人相手に勝利した初めての戦争ということもあり、 当時の日本国民はおろか、白人の支配下にあった東南アジアをはじめとする植民地の国々は狂喜乱舞しました。




当時の日本は、この戦争の戦費を調達するために、増税に次ぐ増税を国民に 課しました 。

それでも足りず、ひいては国債まで強制的に国民に買わせる始末で、市町村は係員に一戸一戸、訪問させていたほどです。

買わない者は、国家への忠誠心を問われる雰囲気だったそうです。この頃の日本は軍事国家街道をまっしぐらで国家予算のうちの軍事費の占める割合が51%を超え、世界一になっていました。

さらなる戦費の調達に困っていた当時の日本銀行副総裁、高橋是清は日本の国債を外国に買ってもらうために、イギリス・アメリカへと渡ります。

アメリカでは、ロスチャイルド家と血縁関係のある大銀行家ジェイコブ・シフから500万ポンドの国債を買ってもらいました。

国債を買ってもらうということは、後で利子をつけて返す、つまりお金を借りることと同じです。

同様にイギリスではロスチャイルド支配下の銀行団から500万ポンド、後にロスチャイルド本家からもさらなる融資を受けます。

このように戦費を調達した日本は、ロスチャイルド系列の軍需企業から主力戦艦・三笠(英・ヴィッカーズ社製:当時のお金で88万ポンド)などを購入し、ロシアと戦争をします。




日露戦争もロスチャイルド家の視点からみると、イギリスやアメリカのように、まだ支配下にない大国ロシアを、育て上げた日本と戦わせ、封じ込めるための戦争だったのです。

そのために日本に戦費を貸し付け、自分たちの会社の武器を買わせ、ロシアと戦わせ、ロシアを叩いた上で日本からも巨額の利子を取り上げるという構図です。

形として、戦争には勝ったものの戦勝国の利権である賠償金はロシアから一切もらえませんでした。その結果、政府はロスチャイルド家とシフ家に高い利子と元金を払い続ける羽目になりました。おかげで、国家財政は火の車、不満を持った国民が東京で暴動を起こし、戒厳令が敷かれたほどです。

ロシアは戦争に負け、日本は経済的な大打撃を受けるだけに終わり、結局この戦争で勝ったのは、ロスチャイルド家だけだったのです。




当時すでに中国と戦い、戦況も泥沼化していた日本が、さらにアメリカとも戦争を始めます。一度に二つの大国と戦うという無謀極まりない戦争で、大敗します。この戦争については、「侵略戦争」だった、または「自衛のために仕方なく起こした戦争」だった、もしくはその両方の面があるなど、いろいろな見方があります。

いずれにせよ、日本に一番の衝撃を与え、いまだその影響を与え続けている出来事であることは間違いありません。

開戦当時、ロスチャイルド・ロックフェラー・モルガン一族などの一部の国際金融権力者だけで世界の富の80%を所有していたと推測されます。

つまり、彼らはその膨大な富を使い、政治家を操り、武器を売り、世界中のどの国でも戦争をさせることが可能でした。

事実、彼らはヨーロッパにおいては、イギリス・アメリカ連合国の敵国であるドイツのナチス党に裏側で資金を提供し、支援して大きく育て上げ、戦争を起こすことに成功していました。ヒトラーを支援したのは、ロスチャイルド家から意向を受けたアメリカの財閥でした。細かく言えば、ロックフェラー財閥のスタンダードオイル社が石油を提供し、資金を提供していたのはブッシュ元大統領の祖父・プレスコット・ブッシュ氏です。

ヨーロッパで第二次世界大戦を勃発させた後は、アジアにその火種を広める準備が着々と整っていました。




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THINKER様より抜粋引用
http://thinker-japan.com/thinkwar.html





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転載元: 日々物語